大阪高等裁判所 昭和44年(う)842号 判決 1969年12月23日
被告人 柿原士郎
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人安藤一郎作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点について
論旨は、原判決は、専売公社大阪支社の西北角に設置されていた駐車禁止の道路標識が適法有効なことを前提として被告人を過失による駐車禁止違反に問擬したが、右の道路標識は、車両がその前方から見やすいように設置されたものではなく、道路交通法施行令七条三項に違反し、有効な道路標識とはいえないから、原判決は道路標識に関する右法令の適用を誤り、被告人を過失駐車禁止違反に問擬した違法があるというのである。
よつて案ずるに、道路交通法施行令七条三項は、公安委員会が道路標識を設置するときは、歩行者、車両または路面電車がその前方から見やすいように設置しなければならない旨規定している。これを所論の駐車禁止の道路標識(以下(イ)の標識という。)についてみると、原判決挙示の証拠によれば本件当時、右(イ)の標識は、前記支社西北角のすみきり部分の西角付近に設置されていたが、その下部の柱の部分が折損していたため、その東側に接していた電柱に緊縛固定され、上部の円形の標識部分はやや西南に面し、右電柱の北側にはこれに接して西方への一方通行を示す固定式道路標識と、その標識の西側にこれと並んで同様に西方への一方通行を示す移動式道路標識が設置されていて、同支社北側の東西道路を西進して左折南進しようとする自動車の運転席からは、右(イ)の標識は電柱と右一方通行の二標識の陰にかくれてその存在さえも認識しがたい状況にあつたことが認められ、したがって、右(イ)の標識は、その設置および維持管理にかしのあることがうかがわれる。しかしながら、駐車禁止の標識は、進行する車両を前提とする一方通行や速度制限のための道路標識とは趣を異にし、一定の区域に車両を止めて駐車することを禁止するものであるから、車両が前方から見やすいように設置されていない駐車禁止の道路標識であつても、右標識の設置された地点を越え、その近傍に車両を止めて下車した場合、あるいは、設置された地点からある程度離れて車両を止めて、逆戻りの状態で歩行する場合などには、右標識を認識し得ることが考えられるのであつて、このような場合、前記標識の設置上のかしを理由にして、有効な駐車禁止の規制がないとはいわれない。以上のところよりして、本件(イ)の標識は、その設置および維持管理にかしがあるけれども、道路交通法施行令七条三項に違反する無効な標識とはいい得ないから、その有効であることを前提とする原判決には所論のような法令の適用に誤はない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二点について
論旨は、要するに、被告人には駐車するについて過失がないのに、その過失を認定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。
よつて、原判決挙示の各証拠および当審における事実取調の結果によれば、本件当時、大阪市浪速区河原町二丁目一四五七番地先、日本専売公社大阪支社西側を南北に通ずる道路(幅員一一メートル)は両側とも駐車禁止区域と指定され、その駐車禁止の道路標識は、同道路の東側には、同支社西北角のすみ切りの部分の西角付近に設置された前記(イ)の標識と、それより南方約一五〇メートルの同支社南西角付近に設置された標識(以下(ロ)の標識という。)があり、同道路西側には、同支社西北にある十字路交差点の南西角から約一二メートルの路端に設置された標識(以下(ハ)の標識という。)があり、なお、右(イ)、(ロ)、(ハ)の標識のほかに、同公社西北角すみ切り部分にある同公社の低いコンクリートの垣には上部に「駐車禁止」と左横書きの正規の道路標識ではない立看板が設置されていたが、右横書きの駐車禁止の文字は位置が高いため左折車両の運転席からは確認することができず、また(イ)の標識は、さきに認定したように、設置および維持管理にかしがあるため、左折車両の運転席からはその存在すら確認しがたい状況にあつたが、その南方からはこれを認識し得る状態にあり、(ロ)の標識は(イ)の標識より約一五〇メートル南方にあり、本件駐車現場からでも約一〇〇メートルの距離にあつて、当時標識の塗料全体が色あせて変色し、本件駐車現場からは何らの障害物がないときには標識らしいものの存在が認められるけれども、いかなる表示の標識であるかを確認することが困難な状況にあり、(ハ)の標識は南北道路を北行する車両に見やすいようにその標識の部分がやや南東に向けられて設置されていたところ、被告人は、本件当日、所用のため普通貨物自動車を運転して兵庫県氷上郡柏原町の自宅を出発し、大阪市内に出て、午前一一時三〇分頃、駐車場所を探し求めて、同支社北側の道路を西進して同支社西側の南北道路に左折した際、前記理由により同支社西北角の立看板の駐車禁止の文字も(イ)の標識も認識することができないまま、(イ)の標識から南方約五〇メートルの道路東側に自車を止めたが、その際、それより南方約一〇〇メートルにある(ロ)の標識は、その間に駐車中の多数の車両のため、これを認識することができなかつたため、同道路東側に駐車していた何十台もの多数の車両も駐車禁止の規制がないため駐車しているものと考え、同所は駐車することが許された場所であると信じ、下車して北へ向つて、多数の駐車車両の横を、自己の左側を頻繁に通行する車両に注意しながら歩行していたが、その際、さきに左折のとおり確認されなかつたので(イ)の地点に標識があるとは思わなかつたことと、(イ)の標識の手前に車両が駐車していたためこれを認識することができずただ道路西側の(ハ)の標識を認めたけれども、右標識は道路西側での駐車を禁止する趣旨のものであるから、自車の駐車が駐車違反になるとは夢にも思わず、所用を終えて駐車現場に戻るまで約三〇分間駐車したこと、本件後、前記(イ)(ロ)(ハ)の標識はつけかえられ、設置方法にかしはなく、その標識の色彩も明瞭なものとなつており、また、右(イ)(ロ)の両標識間には、あらたに、(イ)から南方約六〇メートルの地点に駐車禁止の道路標識が設置されるに至つたことが認められる。被告人を検挙した北脇誉巡査は、当審証人として「被告人が駐車していた現場から西北角の標識は見えたことは間違いない。これは柿原さんに確認させている。」旨供述するが、同人は原審証人として「検挙した内容については正直に言つてはつきり知りません。」と供述しているのであつて、本件場所が駐車違反の多い場所で、しかも事案はいずれも画一的なものであることからすると、右当審における証言はたやすくは信用しがたく、かりに、検挙当時の状況が右当審証言のような状況であつたとしても、これをもつて、それより三〇分も前に被告人が車両を止めたときの状況を推認することは困難であるから右当審証言を採用することはできない。そして、右認定のように、(イ)の標識の設置および維持管理にかしがあつて、車両がその前方からこれを確認しがたいため被告人がこれに気がつかず、(ロ)の標識も駐車車両のためこれを認識できないという状況のもとで、被告人が逆戻りして歩行するときには、既に存在しないものと思つていた(イ)の標識を認識すべき注意義務は軽減されるものと解すべきところ、被告人は自己の左側を頻繁に通行する車両に注意しながら歩行中、(イ)の標識の手前に駐車していた車両のため、同標識を認識することができなかつたというのであるから、被告人にはわざわざ(イ)の標識をさがしてまでこれを認識すべき注意義務はないものというべきである。
原判決は、(イ)の標識はその南方から北行する場合にはその表示を認識し得る状況にあつたのであり、また大阪市内の市街道路は道路の左右両側にわたつて駐車が禁止されており、片側のみの禁止は極めてまれであることは公知の事実であり、被告人は(ハ)の標識に気づいたのであるから、(イ)の標識に注意して、自車駐車の場所が駐車を禁止された場所であることを確認し、直ちに自車を他へ移動すべき義務があり、被告人がこれを怠つたとして過失を認めているが、被告人が北行中、(イ)の標識を認識し得べき状況でなかつたことは前記説示のとおりであり、また所論指摘のような事実は公知の事実とはいいがたいから、(ハ)の標識を認識しても自車駐車の場所が駐車を禁止された場所であることを確認すべき注意義務はないから、結局は、被告人には原判示のような過失はないものといわなければならない。
そうすると、被告人に駐車について過失がないのに、過失を認定した原判決は、事実を誤認したものであつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとする。
本件公訴事実の本位的訴因は「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和四三年八月八日午後零時ごろ、大阪府公安委員会が道路標識によつて午前八時から午後八時までの間駐車禁止の場所と指定した大阪市浪速区河原町二丁目一四五七番地先日本専売公社大阪支社西横道路において道路標識の表示に注意し駐車が禁止されている場所ではないことを確認して駐車すべき義務を怠り、同所が右駐車禁止の場所であることに気づかないで普通貨物自動車(神戸四み三一〇四号)を約三〇分間駐車したものである。」というのであり、その予備的訴因は「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和四三年八月八日午後零時ごろ、大阪府公安委員会が道路標識によつて午前八時から午後八時までの間駐車禁止の場所と指定した大阪市浪速区河原町二丁目一四五七番地日本専売公社大阪支社西横道路において、普通貨物自動車(神戸四み三一〇四号)を駐車して下車し、北方向に向つて歩行していたのであるが、同所の北方約三〇メートルの地点には右駐車禁止の場所であることを表示した道路標識が設置されている場所ではないことを確認して継続駐車すべき義務を怠り、右標識の側方を歩行通過したのにこれを看過し、同所が右駐車禁止の場所であることに気づかないで、右自動車を移動せず、そのまま約三〇分間駐車したものである。」というのであるが、さきに説示したところから明らかなように、本件公訴事実については、犯罪の証明が十分でないから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により、主文二項のとおり無罪の言渡をする。